「どうする家康」で本能寺の変が近づいています。
先日の放送で「どうする家康」では家康黒幕説をベースに展開することが判明しましたが、一般的にはどのような説があるのか気になったため調べてまとめました。
明智光秀の動機
本能寺の変の黒幕を考える前に実行犯である明智光秀の動機を整理します。
まず、信長のせいで母を殺されたこと。次に、家康饗応役を務めた際、魚が腐っているとしてその役を罷免されたこと。続いて、家臣の移籍問題に起因する信長からの暴行。さらに、戦での「骨を折った甲斐があった」との発言に対する叱責。そして、石見への国替え命令である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ad47996446c7e08ee0a263798fdab744c074bef
こちらの記事では次の5つにまとめられています。
- 信長のせいで母を殺されたこと
- 家康饗応役を務めた際、魚が腐っているとしてその役を罷免されたこと
- 家臣の移籍問題に起因する信長からの暴行
- 戦での「骨を折った甲斐があった」との発言に対する叱責
- 石見への国替え命令
「どうする家康」における明智光秀は信長に虐げられている様子を見て取ることはできませんが、史実では恨みを持つに十分な状況であるようです。
本能寺の変の黒幕
足利義昭説
これれの記事を参考にしました。
室町幕府の最後の将軍である足利義昭は勢力を増す信長を恐れていました。一時は追い詰めたもののやがて京都を追いやられてしまいました。このことを恨み、また京都に戻りたいというのが動機です。
明智光秀は足利義昭に信長を紹介した張本人であり、古くから付きあいがあった。明智光秀は権威を尊重する気質であった。というのもこの説の信憑性を高めています。
朝廷説
これらの記事を参考にしました。
不幸にして本能寺の変の直後に焼失しましたが、安土城は幻の名城として語り継がれています。ここで特筆すべきことは、城内に神殿を設けたことです。つまり、信長は自ら神として君臨しようとしていた可能性があるということです。
https://kyotolove.kyoto/I0000289
信長は安土城内に、天皇の住まいである清涼殿を模した御殿を造営していたことが発掘調査で明らかになっています。つまり、「天皇を安土に迎える構想」を抱いていたと考えられます。
https://toyokeizai.net/articles/-/167293?page=5
このように信長は天皇より上の存在になろうとしていた形跡があります。自分たちの存在が脅かされていると朝廷が明智光秀が謀反を起こす手助けをしたという説です。
徳川家康説
こちらの記事を参考にしました。
武田家と内通している妻の築山殿と長男の信康を殺害するよう信長に示唆されたことが動機です。こちらは「どうする家康」で描かれている通りです。
その他に、成果主義を重視している信長の元で明智光秀や豊臣秀吉が出世していく中、武田家を滅ぼした後に自分の価値があるのかという消極的な動機もあるようです。
まとめ
本能寺の変の黒幕について、足利義昭説・朝廷説・徳川家康説の動機を調べまとめました。
「どうする家康」ではこれからどう描かれるか楽しみです。
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